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静岡大学山岳会関西支部、春の山行報告書

谷本謙さんの母上様、我々にヨーロッパから持ち帰られたワインを京都北山雲取山の山頂で、いただきました。

期日;  2003年4月5、6日
参加者; 石井愼一、堂馬英二、山端謙一郎、野邑和幸、田中正視、宮崎実、喜夛茂
場所;  京都北山中央に位置する花脊、山村都市交流の森、翠峰荘で一泊花脊スキー場跡から雲取山、芹生峠経由で貴船、鞍馬へ至る。

4月4日(金) 近畿地方は夕刻からあいにくの雨、帰宅遅くなり参加される方々から明日の予定について電話のあった旨を女房から聞く。21時を過ぎている為、参加者全員に電話連絡し、明日の行動予定を決定する。4月5日朝からの行動は中止し、14時京都出町柳発の京都バスで宿泊場所である花脊交流の森へ直接出発と決定。

4月5日(土) 昼前に近鉄生駒駅を出、丹波橋で京阪に乗り換え出町柳に着けば、同じ電車に乗っていた田中氏と改札で出会う。バス停付近で、石井、山端、野邑,宮崎の諸氏と久々顔を会わせ、堂馬氏の到着を待つが、なかなか到着されず少々心配になる。どうにか、全員がそろい14時ちょうどバスは出発。皆さんお元気そうで、積もる話をしていれば、1時間30分の時間もあっけなく目的地に到着。

(写真はすべて石井さん提供)

花背スキー場から寺谷峠へ

途中道路脇には雪も残っており北山の寒さを感ぜられる。
 宿泊場所は山奥であるが京都市左京区であり、京都市の外郭団体の所有物件で最近建てられたようだ。宿泊客は、我々7名のみ。夕食は、地鶏とイノシシ(2月一杯が猟期で、我々に出されたものは冷凍されたもの)ですき焼きをつつき、ビール、酒に谷本くんのお母さんからの差し入れワインを一本空ける。
 皆さん、中年からあとの世代になりつつあり、口は達者になっても胃袋の動きはもう一つの様で、30年前、40年前、一日に2合の飯で山を歩き回り、腹をすかせていた頃とは大違いで、幾らか残してしまい、少々寂しい気もする。夕食後、炬燵に入り、多くの話題が錯綜しとどまる事が無いため、明朝6時起床、7時40分ごろ出発と決め23時には就寝。

4月6日(日) 堂馬氏の携帯電話目覚ましでたたき起こされる。朝食前、宿泊施設のまわりを散歩し、雨上がりのうまい空気を味わう。山端氏は、毎週土、日曜日は少年野球チームの面倒を、朝から晩までみておいでの様で、今日は出席出来ない旨携帯で連絡をされている。朝食後、宿のマイクロバスで登山口まで送っていただく。着いた場所は、京都市立別所小学校と中学校が同居している門の前である。二宮金次郎さんと一緒に記念撮影し、心を新たにして山にむかう。
    この場所の少し上は、数年前まで、花脊スキー場と言う小さなゲレンデであった。私の長男、次男がまだ小学校1年か、幼稚園のころここへ連れて来た事がある。ベンガル人のボシュさん夫婦とその子供達と一緒に雪遊びをするためであった。もう、20年程前である。登山道脇の小さなゲレンデ、そしてその廃屋。この廃屋には当時使用していたストーブがそのまま残されており、あの周りで小さかった子供達の鼻汁を拭いながらラーメンをすすった事など思い出すと、ついこの間の出来事の様に感ぜられる。

寺谷峠から雲取峠へ

 昨日の雨でぬかるんだ小道をゆっくり歩み、寺山峠を越え、雪解け水の心地よさを感じていると笹の群生地に出る。その途上では、笹の葉が食べられており茎のみ残す場所が数箇所ある。皆さん、この付近に鹿が潜んでいるようだと言っている。確かに、細い道の上には緑がかった長さにして20ミリ程度のラグビーボール状の糞があちこちに散らばっている。田中氏はその一つを摘み上げ保存した。それは、植物鑑賞会の折の資料にされるとか。

少し進んでは、植物鑑賞会である。辺りのスギ、ヒノキ、アスナロの枝を集め観察し、野邑、田中二人の先生から講義を受ける。田中氏の住む和歌山に近い大阪泉南と、此の京都北山とは直線距離にして120キロ程度であろうが、気象条件が全く異なり(ここ北山は冬にしっかり雪が降る)北山にはアスナロが育っているが、泉南で見かける事は無いとの事である。(後日、ホームページで写真掲載の上説明下されたし。)やはり植物の知識の豊富な方と来れば別の楽しみがある。大きなヤドリギも発見し、教えを受ける。そうこうしているうちに、雲取山(911M)山頂に到着。ここが、今日の行程で一番高い所である。
    この場所で、谷本さんからいただいたワインのあとの一本をいただく事に決めていたので、皆さんに内緒で持参したグラスをリュックから取り出し、皆さんと美味しくいただく。雲取山とはよく言ったもので、今日のこの山頂には雲がかかっておらず、天には青い空が広がっている。逝ってしまった谷本くんも天空から我々を眺めている事だろう。
    雲取山からの下山には、二の谷と三の谷のルートがあるが、野邑氏は過去に二の谷を下った事があるとかで、今日は三の谷を下りる事に決定。途中から林道に入り、少し進めば左手に勢滝天満宮が見える。小さな祠の前で、朝出かけに作ってもらった弁当を皆でパクつく。雲取山で出会い二ノ谷を下りたグループもこの場所で弁当を広げ始めた。

雲取峠で植物鑑賞会

天満宮をあとにし、車道を一路貴船、鞍馬を目指して歩く。民家の畑にはフキノトウが顔を出し始め、その下の沢には芹が薄緑の姿を見せている。この花脊の山奥にもようやく春が訪れている事を実感する。車道の両側には手入れのいきとどいた北山スギが天空にむかい、その中を我々は、芹生峠にさしかさる。4,5日前の先月に石井さんは、府庁を定年退職されたが、府庁に入られ初めての仕事がこの芹生峠の数十メートルにわたる土留め擁壁工事であったとかで昭和41年の事である。昨日が雨でなければ、予定変更でこの場所に来る事はまずなかった為、石井さんは自分の手がけた若かりし時の仕事を思い出し、しばし茫然。不思議な事はやはり起こるものである。皆、壁の前に立ち記念撮影をする。

 ここから約1時間、植物観察しながらようやく貴船神社にたどりつく。堂馬、山端両氏とはここで分かれ、残りの5名は鞍馬山越えにとりかかる。30分かかって急な参道を登れば、鞍馬寺奥の院である。お堂の縁台には、『戦争に反対する。平和を求む。-------------------』と言った文字が毛筆で書かれた40センチ角の色紙が置いてある。変わった寺だと思いながらスギの大木の根が覆い尽くしている参道を進むと、16歳の義経が鞍馬寺を去る時、背比べをしたと言う石の前を通り下りにかかる。九十九折参道、牛若丸息次ぎの水を経、明治に反戦歌を創った歌人、与謝野晶子の書斎(冬柏亭)や鉄幹、晶子夫婦の遺稿を保管している建物前に出る。この場所に鞍馬寺本殿がある。源義経供養塔、鞍馬の火祭りで有名な由岐(ゆき)神社から仁王門をくぐり、叡山鉄道の鞍馬口駅に到着。一日良く歩きました。 

雲取山 山頂

雲取山 山頂

【色紙の事、冬柏亭の事が気になり、後日、鞍馬寺へ電話で事情をお聞きしたところ、色紙は寺で書いて置いているとの事、冬柏亭は東京荻窪にもともとあり、与謝野晶子さんの知人で小田原の方が面倒みていたが、保存出来なくなり鞍馬寺の前管長さんが晶子さんの弟子である関係から寺で保存するようになったとの事です。それにしても、この寺は、当時の権力者平清盛から義経を預り、明治時代に堂々と反戦歌を創った与謝野晶子の遺品を保存し、奥の院の色紙に書かれた文面を縁台にそっと置いているその姿、歴史を感じます。また出かけるのが楽しみな寺になりました。】

8:20 京都市立別所小学校、花脊一中 
9:05 寺山峠
10:00雲取峠
10:20雲取山
12:20勢滝天満宮
13:15芹生峠(石井さんの初仕事場)
14:30貴船神社
15:20鞍馬山奥の院
16:45叡山鉄道 鞍馬口駅
(上記時間は植物観察の為、1.5倍以上かかっていると思われます。)
         喜夛